【対談】日常着としての「無重力着付け」〜日本の伝統文化・着物の奥深さを知る〜




こんにちは、むすび大学ナビゲーターの川嶋政輝です。



みなさん、ふだんの日常で着物を着ることはありますでしょうか。

日本の伝統文化の一つである「着物」が、産業として衰退している現状があります。

そこで今回、結び大学ではこの「着物」を取り上げます。

京都にある呉服店「鞠小路スタイル」の田中千衣子さんを訪問し、お話を聞きました。

千衣子さんは、着物をよそ行きの服としてではなく、「日常で着ていく」ということを提唱されています。

考えてみると、もともと着物というのは日本人にとって普段着でした。

しかし昨今は、着物を着る文化そのものが失われつつあります。

今回の対談から、日本の伝統文化をより深く知って、「日本人ってこんなにも奥深い文化を持っていたんだ」と感じていただけたらと思います。


日常着としての「無重力着付け」





川嶋政輝(以下、川嶋):
最初に自己紹介をしていただいてもよろしいでしょうか。

田中千衣子(以下、田中):
わたしが提案している着付けは、「無重力着付け」といいます。
着物は窮屈というイメージがあるかもしれませんが、無重力着付けの場合、むしろ着物を着ているほうが体が「軽く」なります。
だからこそ、「日常の暮らしのなかで着よう」ということをお伝えしています。

川嶋:
この「無重力着付け」というのは、すごくいいネーミングですね。ご自身で考えられたのでしょうか。

田中:
そうです。ある日、社内でスタッフに着付けをしたら「気持ちいい」と言われたのがきっかけでした。

「着物が気持ちいいとは、どういうことだろう」と思い、いろいろなひとに着せてみたところ、圧倒的に「軽い」という声が多く寄せられました。

川嶋:
たしかに軽いです。今日も着せていただき、本当にそう感じています。
逆に、脱いでいくと体が重くなる感覚がありますね。

田中:
まさに「重力を感じる」という感覚ですね。そこから「無重力着付け」と名付けました。

川嶋:
いわゆるふつうの着付けとは、少し違うものなのでしょうか。

田中:
そう思います。大半のひとが「着物は苦しい」「脱いだほうが楽になる」「脱いでホッとする」というイメージを持っていますよね。


川嶋:
だからこそ、千衣子さんご自身は普段着として、着物を着て家事をしたり、寝転んだり、テレビを見たりしているのですね。

着物が体にも心にもよいと提唱されていますが、そうした発想に至った経緯を教えてください。

田中:
先ほどお伝えしたように、「気持ちいい」と言われたことがきっかけです。
「本当にそうなのかな」と思い、その後100人くらいの方にモニターとして着付けをさせていただきました

するとやはり、「体が楽になる」「気持ちが楽になる」「安心感に包まれる」というひとがたくさんいて、わたし自身も予想もつかないことでおどろきました。

どうすればたくさんのひとに着物を着てもらえるか、どのような形でお届けするのがよいかと考えているうちに、ふと感じたのです。
「着物は外出着である」とは、いったい誰が決めたのだろう、と。

川嶋:
おっしゃるとおりですね。江戸時代などはそうではありませんでしたから。

田中:
昔は24時間365日、着ていたはずです。
しかしわたし自身、着物を仕事にしているにもかかわらず、「外に行くときに着るものだ」という思い込みがありました。

川嶋:
以前は、日常では着ていらっしゃらなかったのですね。

田中:
普段着としては着ていませんでした。
「外出のための普段着」という感覚で、家に帰ってきたら脱ぐことに、なんの疑問も持っていませんでした。

川嶋:
たしかに、家では洋服に着替えていましたよね。そう考えると、着物の見方が180度ガラッと変わりますね。


田中:
そのとおりです。


川嶋:
いまは着物を着る機会自体がすごく減っていて、着物業界ではイベントやお食事会を企画して機会を作ろうとしています。

「着物でレストランに行くといい席に案内してもらえる」といった具合ですね。


田中:
ただ、その理由だけでは着物を買う動機にはならないのではないでしょうか。

「そういうことではないよな」と、わたし自身は思っていました。
家のなかであれば人目も気にしなくていいですし、高い着物を着なくてもかまいません。


組み合わせについて、ひとから咎められることもありません。
体にいいのであればなおさら、家にいる日常のなかで着るべきだと思ったのです。




着物がもたらす心身への影響





川嶋:
わたしも今日着せていただき、ありがたいことに「文豪みたいですね」と言っていただきました。


昔の文豪も着ていたわけですし、日常的に着ることで、身のこなしが変わったり、体への影響も違ってきたりするように感じます。


その点について、みなさんからどのような感想をいただいていますか。


田中:
じつは、「表には出せない」と感じるくらい凄まじい感想もいただいています。


川嶋:
なんだか少し怪しいですね。

田中:
腰痛や肩こりが軽くなるというのは、ある程度予想がつきますよね。

それに加えて、「眠りが深くなる」「体が冷えなくなった」といった声や、心持ちが変わって「夫婦仲がよくなった」という感想もありました。



川嶋:
着物と夫婦仲は、ずいぶん遠いように感じます。


ほかにも「水泳で泳げる距離が伸びた」という方もいらっしゃいました。
あげくの果てには「先生、奇跡が起きました」とメッセージが来て、「もうこれ以上はやめて」と思ったくらいです。

川嶋:
どのような奇跡が起きたのでしょうか。

田中:
膝が痛くて正座ができなかったひとができるようになるなど、次々と変化が起きたのです。

そこで思ったのは、「いままでは、着物を着ていなかったから調子が悪かっただけなのだな」ということでした。

川嶋:
洋服での生活が、逆に不自然な行動だったということでしょうか。

田中:
そう思います。
もともと日本人は着物を着ていたのに、それを着なくなってしまったから調子を崩していただけだと考えると、すべて腑に落ちました。

川嶋:
いまの洋服や下着は締め付けが強いですよね。男性もそうですが、女性ならなおさらです。

それが結果として、体のリンパや血液、気の流れといったものを阻害してしまっているのでしょう。

わたしも健康には意識を向けているほうで、じつは普段「ふんどし」を着用しています。

むすび大学の視聴者にもぜひふんどしの着用を広めたいと思っているのです。
日本文化を謳うなら、まず下着からだろう、と。トランクスやブリーフはむしろ古いと感じています。

ゴムを使わないふんどしに変えるだけでも、精密な電気の流れでコントロールされている体によい影響があることは、以前から知っていました。

今回着物を着てみて、やはり「普段どれだけ不自然な衣服をまとっているのか」がよく分かりました。

スポーツの記録が伸びたというお話も頷けますが、それは日本人に固有の「身のこなし」とも関連しているのでしょうか。

田中:
関係していると思います。
最初この着付けを始めたときは、「ちょっとしたポイントを押さえればすぐにできる」と思っていました。

しかし、みなさんことごとく着られないのです。
「どうしたのだろう、わざと無視しているのかな」と、いろいろ考えました。

川嶋:
反抗しているのかと疑うくらい、教えてもできないということですね。

田中:
難しくないのにできないのです。
なぜだろうと考えた結果、洋服を着るときの動作のままだと、着物は着られないということに気がつきました。

洋服を着る動作というのは、全体的に動きが大きいですよね。

川嶋:
腕を大きく広げたりしますね。


田中:
しかし着物は「自分で自分を包む」ような感覚なので、腕を大きく広げてしまうと包めません。

自分で自分をブロックしてしまうような感じがあり、衣服と動きは本当に密接に関わっているのだなと感じました。

お箸の持ち方も同じです。
脇を開けると食べづらいはずなのですが、最近は洋服を着てお箸を持つため、脇を開けて食べているひとがたいへん多いです。

川嶋:
ナイフとフォークを使うような感覚ですね。「脇が甘くなる」という感じでしょうか。

それは、日常で着物を着ていると体の動きが矯正されていくものですか。

田中:
そうですね。「脇が甘くなる」というのは昔からよくない動作とされていますが、着物でそれをやると、すべて袖が邪魔になります。

脇の甘い動作をして手を後ろに回そうとすると、袖がブロックするのです。

川嶋:
だから動きづらく感じるのですね。

田中:
「着物は動きづらいですね」と言うひとがいますが、それは着物に合わない動きをしているからです。

「その動きをすると脇が甘くなるよ」というサインを、着物が出してくれているのだと思います。

川嶋:
自動で矯正してくれるわけですね。着物の動きに自然となじむようにできているのですね。


着物と「心のあり方」の連動
川嶋:
体の動きと心のあり方はすごく連動していると思いますが、実際に着物を着て生活するなかで、気持ちの面での変化はあるものでしょうか。

田中千衣子(以下、田中):
あります。変化を感じる方はたいへん多いです。

普段わたしたちがおこなっている動きというのは、肩肘を張ったりして、上に「気」が上がるような動作が多いのですよね。

気が上に上がると、思考優位になります。
洋服というのは、とくに何も考えず、何も感じなくても着られます。

「今日は気持ちいいな」といちいち感じることはありませんよね。

川嶋:
無意識に着ていますね。

田中:
普段「感じる」習慣がないひとが、着物の心地よさを感じながら着るようになると、自然と落ち着いた動作になり、気も落ち着いてきます。


落ち着いて「腹重心」になり、自分の中央が決まると、外側をゆるく保つことができます。肩の力も抜けますしね。




わたしがみなさんを観察していて一番感じるのは、ひととひととの「壁」が取れていくということです。
初対面の方同士でも、リラックスして話している雰囲気を感じます。

川嶋:
いまのご時世とは真逆ですね。マスクをして、ひととひととの壁が強くなっていると感じますから。

お話を伺っていて、スーツは自分を洋服に「はめ込む」感覚で苦しいですよね。
体型が変わってきたらボタンがきつくなったりします。

しかし着物は逆で、自分に服を合わせていく感覚があります。


田中:
服が本当に守ってくれるような感覚です。

日本の建具もそうですが、建具を外せば壁がなくなりますよね。
もともと日本の家は柱だけで立っていて、「壁の文化」ではないのです。


川嶋:
西洋の文化は石組みやレンガで、境界線がはっきりしていますね。お城でも家でも。


田中:
そのため、海外の方は神社の概念を理解するのが難しいそうです。

「鳥居は英語に訳すと『ゲート(門)』になるけれど、扉が閉まらないのにどうしてゲートなのか」と。


川嶋:
通りたい放題に見えるのですね。でも、わたしたちはそこで一礼をします。


田中:
境界線がはっきりと見えないのに機能しているのが、不思議なようです。


川嶋:
物理的ではなく、心理的な境界なのですよね。心を正す入り口としての役割があるのです。

海外のお城と日本の皇居を比べても、昔の京都御苑などは本当に壁一つなくて、海外の方からおどろかれますからね。

田中:
心理的な境界がきちんとあれば、壁を分厚くしなくてもいいのだなということを、着物を見ていても感じます。

川嶋:
最近よく話題にするのですが、戦後、日本の文化がアメリカナイズされ、キリスト教的な価値観なども入ってくるなかで、芥川龍之介が自殺した事件が当時大きな話題になりました。

エリートで作家としてもブレイクしていた彼が、なぜ命を絶ったのか。
その原因を「ぼんやりとした不安」という言葉で語ったことが大きく取り上げられました。

それは、いまも変わらないと思うのです。
ぼんやりとした不安のなかで、本当の自分を見せるのが怖くて、外向きに装わないと素でいられない。

それが「洋服」にすごく表れているなと、今日思いました。

自分をブランディングするため、よく見せるために着るようになっています。
もしかすると、現代の着物もそちらの方向へ進んでしまっていたのでしょうか。


田中:
そう思います。

着物は本来、形が同じだからこそ「そのひとらしさ」が際立つ服です。

年を重ねて変化していくと、同じ着物でも着付けが変わり、そのひとらしさがにじみ出るものだと思います。

川嶋:
同じものを着ても、ひとによってぜんぜん違って見えますよね。

田中:
そうですね。
しかしいまは「襟は何センチ」「このくらいの角度で」と厳密に決められていたりします。

着るひとを見ずに、形が先に決められているのが、いまの一般的な着付けの現状です。


次回へ続く

田中千衣子さんの浴衣販売会はこちら>>
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