藍染の「あいわゆう」さんと、整体師の万福たけしによる対談をお届けいたします。
前篇は「最先端のファッションデザインから、藍染めの世界へ」
後篇は「藍染めの衣服が心地よい秘密~ものづくりの本質」
というテーマでお届けします。
万福:今日は、「あいわゆう」の野原和也さんと野原美希さんに来ていただきました。
実は本日の対談をめちゃくちゃ楽しみにしておりました。
なぜかというと、わたし、実は服がすごく大好きだからです。
体のことも勉強してましたが、服作りも志しておりまして。
ですので、あいわゆうさんの経歴を見るだけでも、すごいな、となるんです。
そこも含めて今日はお伝えさせていただきたいなと思っています。

藍染めとの出会い
万福:野原さんは、イギリスのセントマーチンファッションデザイン科というところを卒業されていらっしゃるんですよね?
野原:はい。ロンドン芸術大学のセントマーチンというファッションで有名な学校です。
万福:この大学すごいんですよ。
どれくらいすごいかというと、野原和也さんの出られた学科を修了されて、有名なデザイナーといえば、ディオールの キム・ジョーンといった名だたるデザイナーたちが出ている学校なんです。
そこで、イギリスのファッション誌『VOGUE』のファッション批評家の方が 、野原さんがデザインされた「身障者の方でも着られる服」っていうのに注目されて、「あなた、すごい良いことやってるからぜひ」っていう形で、今度はニューヨークのパーソンズ芸術大学に推薦された、ということですね。

▲イギリスのファッション誌『VOGUE』
この大学も世界3大デザイナーズスクールと言われてる大学です。
ファッション業界でその3分の2を抑えられた日本人なんて、他にいないんじゃないかと。
そのままその道を行けばいい、みたいな感じじゃないですか。
でも、和也さんは違った。
野原:はい。僕は19歳の頃に渡英しました。
世界一の学校でファッションを学んでみたいと思い、英語もわからない状態で渡英して、7年ほど住みました。
最先端のファッションの大学で、世界中から様々なバックグラウンドを持った方たちが集まっていました。
僕らのクラスも20人ぐらいだったんですけど、国籍は11〜12カ国みたいな状況で、共に制作活動をするわけです。
そこで僕も彼らの才能にすごく影響を受けて、デザインを極めていきたいなという思いで勉強していたんです。
ですが、ファッションデザインに関して、 これでいいのかな?と思うことがすごく多かったんです。
ファッションデザインというのは、もともとヨーロッパから来たものなので、すごく確立されています。
それぞれのデザイナーが持っている思考とかアイデンティティみたいなものを、 色や素材や形を通して具現化し、それをショーとして発表して、そこに共感する人たちが、その服を着ていく、と。
そして、デザイナーにとってインスピレーションを与えてくれる女神の存在がいるんです。
体の形も様々で、キャラクターも様々なんですけど、そのイメージした女性に対して服を作っていく。
それは体があって、マネキンやトルソーというものがあって、そこに対して立体的に服を作っていくので、できた服がそのまま体の延長線上というか、理想の体を表しているわけですよね。その服をみんなが着ていく。
自分をそこに近づけていくようなものが洋服作り、ファッションの世界だと思っていました。
ただ、デザインの仕方にもいろんな手法や考え方があります。
その中で、「この デザイナーの人たちは、本当に人の幸せを願って服を作っているのだろうか?」みたいなことを思ったことがありました。
とてもクリエイティブで、刺激的で、面白いものも多いんですけど、そこで終わってるんじゃないか・・・と、学びながら違和感を感じるようになりました。
万福:なるほど。
野原:それから僕は、「身体障害を持った方でも、健常の方でも着れる服」っていうのを卒業制作として発表させていただきました。
その時に天然繊維が体に良いということも発見していたので、 泥染めとか柿渋染めで、自分で染めて作品を発表したんですね。
そこからニューヨークに行って勉強するっていうお話をいただきました。
スポンサーをしていただいていけるということで、すごくいいお話だったんですけど、ちょうど日本に帰ってきたのが2019年。
2020年は世の中がコロナウイルスで、変わってきたタイミングでした。
イギリスにいたときのことですが、僕のクラスの子たちはみんなすごいバックグラウンドがあって、アイデンティティーに対する意識もすごく強いんですよ。
黒人の子もそうですし、 LGBTQとか、ファッションやられている方って、ほとんどが、そこをすごく強めていくんです。
だけど、僕は日本人としてアイデンティティ薄いな、というか、何なんだろう? って、それをずっと考えてて。
「僕って日本人だよな」
「でも日本 って何だろう?」
って思った時に、全然知らないなと思ったんです。
「これは知らないといけない!」
と思って、神社に行こうと思い立ち、伊勢神宮に行ったんです。
その時もまだコロナ禍だったので、誰もいない伊勢神宮に一人で行くことができました。

万福:帰られてすぐにですか?
野原:帰って3ヶ月ぐらいしてからですかね。
行って本当にすごい神聖な空気感を体感して、「なんだこれは?」と。
僕は芸術が好きだったので、イギリスでも美術館に毎週行ってましたし、帰国するときも、アメリカとか中国に渡りながら、主要な美術館に行って、芸術作品を見てっていうことをずっとやってたんです。
でもそれ以上に、すごいものが伊勢神宮にあるな、と思いました。
それは芸術を超えた、一つの続いてきた文化ですよね。
何千年も続いてきて、そしてそこで太陽の光とか素晴らしい心境を感じて、そこから僕はなぜか狂ったかのように神社参拝に目覚めてしまって。
万福:狂ったかのように? どれくらい行かれたんですか?
野原:1年間で300社くらい。
万福:毎日違うところですか!?
野原:そうです。
万福:めっちゃ極端ですね!
野原:そうですね、極端です。
本当にいろんなところに行きました。
その時にYouTube『神社チャンネル』を見せていただいて、こういう参拝の仕方をするのか、と学ばせていただきながら、神社参拝していく中で、微生物とか発酵ってキーワードが自然と出てきたんです。
それで、すごいんだなと思って自分でいろいろ発酵食品を作ってみたりとかしながら、藍染めは衣服を学んでいたときから知っていたので、藍染めを学びたいな、と思った時に、天然の藍染めでもいろんな藍染めの染め液の作り方っていうのがあるとわかりました。
その中で私たちが受け継いでいるのは「本建て正藍染」という伝統の技法です。
これは私の師匠である、大川公一先生が確立された技法で、師匠の書いた文章が本質的なことだったので、すごく惹かれました。
そのタイミングで本当はニューヨークに行かなければいけなかったんですけど、 ちょうどコロナの影響でオンライン授業になりました。
それで藍染の講習に行けることになり、その技術を習得させていただいたのです。
そこで師匠が言われていたことが、ほとんど心構えについてだったんです。
技術的なことよりも、まずは藍染めに向き合う心が大事だよ、ということですね。
そして、日本の歴史とつなげて話していただいて本当に感動しました。
師匠はその時もご病気だったんですけど、病院から出て本当に短い時間で熱く語ってくださったことが、僕の心に、魂に、本当に響いて、本当に聞いているだけで涙が出てくるような熱いものをいただいて。
これはもうニューヨークに行っている場合じゃないな、と。
万福:オンライン授業は出たんですか?
野原:はい。第一期までは終了したんですけど、でもやっぱり、藍染めを日本の土地で、頭でわかるとかじゃなくて、本当に日本の風土の中で藍染めというものを体現できるような存在になりたいなっていう風に強く感じて、中途退学してしまいました。

万福:すごいですね。聞けば聞くほど面白い。
それこそファッションをちょっとでも知ってる人だったら、そのルートから、そこに行くの? 何のためにイギリス行ったの? みたいな風になりますよね。
でも、そのお話を聞くほど、経緯も含めてすごく魅力的だなと思います。
野原:アメリカ行きのお話をいただいたのは本当にありがたいことです。
僕はその時は身体障害の方も着用できるような服を作っていきたい って思っていました。
でもそれはまだ表層的な部分で、もっと奥底にある僕の思いっていうのは、
「良い服っていうものは、人を救うもの、癒すものだ」
と思っていて、本当に人の役に立つ服が作りたいっていう思いがありました。
その時は、健常の方でも障害を持った方でも着ることができる服、という表現だったんですけど。
藍染めに出会った時、藍染めの癒しの効能とか、そういうものを皆さんが生活に取り入れることで、私が本当に目指しているものを表現できるなと感じました。
これは心の奥底では分かってたんですけど、その時ちょうど大学で学んでいた最中だったので難しいところもありました。
でも、決意して進むことになりました。
その過程で妻との出会いもあり、今は岐阜県の池田町というところで、2人で工房を構えて活動させていただいている、という経緯になります。

服をつくる時に大切にしていること
万福:ファッションデザインの現場っていうのは、そういうのを実現するのはかなり難しいと思われる感じだったんですか。
野原:そうですね。今、サステナビリティとかってすごく言われるじゃないですか。
僕も在学中、そのことに対しては真剣に考えたんですけど、どう考えてもちょっと難しいんじゃないかと。
つまりファッションっていうのは、流行があって移り変わっていくものですよね。
だからそれは、生まれた瞬間に消費されていって最後にはなくなっていく。
そしてまた復活して、という20年くらいのサイクルがある。
その中で、服も昔だったらもっと少なかったのに、今は山ほどいろんなデザインの服が世の中にあふれてるじゃないですか。
だからデザイナーの仕事って、それを一から作るっていうよりも、これとこれを混ぜてこういうスタイリングにしてっていって、再提案するみたいな形が、今のデザイナーの仕事なんですよね。
そのデザイナーっていうのは、服を作れない人がほとんどだったんです、僕の学校では。
型紙の作り方も分からない、縫製もできない、だからデザイナーはデザイナー 、分業制なんですよね。
その中で、服作りを工場でしていることに対して、真摯に向き合おうというデザイナーの方もなかなか少ないんです。
ただ日本はたぶん土壌的にものづくりを大事にすると思うので、日本のデザイナーの方はものづくりにこだわっていらっしゃる方が多いと思います。
ただヨーロッパはしっかりと分業制になっています。
万福:完全に分業制なんですね。
野原:はい。僕はやっぱり服を手で作っているときに、これが本当に着る人のためになればいいなと思いながら作ることが好きでした。
温かい気持ちになって、想いを込めながら作ることが、本当にやってて楽しいなと思うんですよ。
デザインって別に頭で考えて作ることもできるんですよね。
リサーチをしてこういう形が流行るよねとか。
でも、それじゃないなっていうのが、すごく心の中にあって。
やっぱり正藍染とか、今の僕らの服作りっていうのは、作る時の思いをすごく大切にしているので、そこが今のファッションと違うところでもあります。
万福:そうですよね。人の幸せって何か? と考えた時に、今それこそ、コレクションブランドとかの服が売れない時代になってきています。
ファッションの主流と言ったらファストファッションって言われるものになってるじゃないですか。
今、それがすごい社会問題にもなってますよね。
今年、作ったものを次のシーズンまで置いておくと、新品であっても次のシーズンの服が売れないっていうんで、新品でもゴミとして捨てられる。
それらは南米のチリとか、サハラ砂漠とかに大量にゴミとして持っていかれる。
それらに火がついたりすればダイオキシンが出る。
砂漠なので土に帰るということもなく、ひたすら大量にゴミとして投棄されていくっていう状態です。

▲南米チリのアタカマ砂漠に捨てられた衣類廃棄物。
出典:ナショナルジオグラフィック日本版「砂漠にできたファッションの墓場」
さらにそこで働いてる人、作り手の話でいうと、
本当に「1日10着作れ!」「 10着作るまで帰るな!」みたいな、そういう非人道的な作り方です。
私がネットで見た話では、それこそトイレに行ったり、食事する時間も許されてないぐらいのペースで仕事しないといけないっていう状況で作らないといけない。
そんな工場が数限りなくある。ほぼ奴隷状態ですよね。
そういうニュースに触れると、服の価値って、今どんどん安くなってることがわかります。
手に入りやすいですよね、昔に比べて。
それに伴って人の価値も下がってしまってるというのを、すごく感じてたんです。
だから今、大事なことって、着る人が幸せになっていく服がある、ということを世の中として再認識していかないといけないなってことです。
わたしの師匠も、「服」をまとうっていうのは、「福」をまとうのと同じ意味や、ということを言われていました。

それにはやっぱり繊維を織るとか、糸を紡ぐっていうことも、それは思いを紡ぐっていうような言葉にもなるじゃないですか。
だから本来、繊維っていうのはすごく人の想念とか、思いが入っていくものだから、本来はそれらに良い思いが入ってほしいわけですよね。
けれども今、そういうことが実現されない世の中になっていく中で、あいわゆうさんがされている活動っていうのが、すごい大事やなと。
そういうところに目覚められて、ファッションデザインの最先端から、今の活動につながっていったっていうのが、お話を聞いていてもすごいなって思うんです。
ところで、野原さんが、藍染めをしようって決めたときの決め手って何だったのですか?
⇒後篇につづく