今回のテーマは、「日本の未来は〝むすび〟の精神にあり」。
前篇は「宗教と社会構造の根深い問題」
中篇は「10万年を超える日本の伝統文化」
後篇は「未来を変えるわたしたちの選択」
となっています。
下に文字起こしもお付けしておりますので、ぜひご覧ください。
皆さんこんにちは。「日本をかっこよく!」むすび大学でございます。
小名木:今回は、海沼光城さんをお招きいたしました。
まさにいま、経済の最前線でご活躍の海沼さんから、「これからの日本がどうなるのか」というテーマについて、さまざまなお話をうかがっていこうと思います。
先生、よろしくお願いいたします。
海沼:よろしくお願いいたします。
小名木:「これからの世界はどうなるのか」という大きなテーマですが、まずはじめにひとつお知らせです。
来る8月11日に、大阪の枚方市にて「むすび祭り」を開催いたします。
こちらは「ゆにわ」がある枚方の地で、1000人規模のビッグイベントとなります。
及川幸久先生などもご登壇されますし、わたしも海沼先生も出演いたします。
そこで、「新しい時代の〝むすび〟とは何か」、そして「これからわたしたちが向かっていく未来とはどのようなものか」といった点について、YouTubeでは普段お話しできないような内容も含めて、とことん突っ込んでお話しする機会でございます。
ぜひ、こちらからチェックしていただければと思います。
▼「むすび祭り」の詳細はこちら!

<宗教と社会構造の根深い問題>

さて、この「むすびとは何か」という部分が、一つのキーワードになるわけですね。
海沼:そうですね。これは大事なキーワードです。
それを考えるにあたって、最初にわたしからお話しさせていただきます。
先ほど小名木先生もおっしゃっていましたが、現在、トランプ前大統領が再び動き出し、イーロン・マスク氏が新しい政党を作るのではないかという話が出ています。

少し前には内輪もめのような話もありましたし、日本国内に目を向ければ、選挙や消費税の存廃、あるいは自民党の問題など、問題が山積しているように感じます。
しかし、より大きな視点で見たときに、ひとつ言えることがあるのではないかとわたしは思っています。
イエス・キリストが亡くなってからのこの二千数百年間、世の中はキリスト教の価値観によって大きく作られてきたと感じるのです。

そして、日本もまたその影響を強く受けているのではないでしょうか。
歴史的な事実として、キリスト教が国やヨーロッパ全体を統治するための道具として使われてきた側面があり、キリスト教と階層構造が結びつくことで、この世の中をコントロールする構造が当てはまるように思います。
小名木:その通りですね。
元々、キリスト自身のキリスト教というものは決してそのようなものではなく、その前にあったユダヤ教も、必ずしも階層構造(ヒエラルキー)のようなものを前提とした教えではなかったはずです。
しかし、キリスト教が古代ローマ帝国の政治システムに組み込まれることによって、完全に政治と一体化してしまいました。
そして、教義の都合の良いところだけが切り取られ、支配層にとっての階層を作るためにかなり強調される形になってしまったのです。
こうした動きに対して反発する形でプロテスタントなどが生まれ、様々な紆余曲折はありましたが、ローマによって形成された「社会としてのキリスト教」が世界の中で大きな力を持ってきたことは事実です。
海沼:そうですね。元々のイエス・キリストの信仰のあり方は、古代ギリシャ的とも言われ、どちらかというと内なる神を見出し、自分自身が神様とつながっていくという考え方でした。
思想としても多神教的なものが基盤にあったと思いますが、それがいつからか一神教の方向へと変わってしまったように感じます。
つまり、イエス・キリストという一人のヒーロー、救世主がいて、その人が人類のカルマを背負ってくれているのだから、彼に祈りましょう、という救世主信仰のようなものになってしまったのです。

小名木:ここで面白いのが、「救世によって救われない人たちはどうなるのか」という問いです。
その答えは、「ゾンビになる」というものでした。
海沼:なるほど、ゾンビになるのですね。
小名木:はい。わたしたち日本人がゾンビ映画を見ると、異様なメイクをしたホラー映画というイメージで捉えますが、キリスト教圏の人々にとって、ゾンビはじつは「神に背いた者たち」の象徴なのです。
ウイルスに感染することでゾンビになるというのは、自分も神に背いた存在にされてしまうという宗教的な恐怖を象徴しているわけですね。
ある意味で、終末論的な世界観を描いていると言えるでしょう。
海沼:なるほど。その救世主信仰が広まっていったとき、世の中全体を引っ張っていったのは、ある種の「カリスマ性」と、もう一つは「恐怖による支配」が非常に強かったのだと思います。
神に背いたら救済されない、ゾンビのようになって魂を持っていかれる、といった恐怖によって人々をコントロールする構造になっていたのです。
そして今、その構造が大きく壊れていっているのではないでしょうか。
この点を鋭く指摘していたのが、社会学者のマックス・ヴェーバーです。

彼は「自発的服従とは何か」を研究し、社会が分業制のシステムとして回っていくときに、人々をいかにして従わせるかという点において、三つの要素があると言いました。
一つ目が「伝統的支配」、二つ目が「カリスマ的支配」、そして三つ目が「合法的支配」です。
この三つの正当性があるというのです。
イエス・キリストの救世主信仰は、この「カリスマ的支配」に強く繋がると思います。
しかし、今のアメリカやヨーロッパを見ても、その力は完全に弱まってしまっています。
移民の流入や資本主義によってキリスト教徒が減り、信仰が失われつつあることも大きいでしょう。
カリスマによって人々を引っ張っていくことの限界が、もう来ているのです。
それが「新反動主義」のような動きに繋がり、「民主主義は形骸化して機能していないのだから、内側から壊してしまえ」という考えからトランプ前大統領が誕生し、マスク氏と連携する、といった流れになっています。
その上でヴェーバーが言っているのは、カリスマ的支配が通用しなくなったとき、次に何が来るかというと、「伝統的な正当性」や「伝統的支配」に回帰する流れが来る、ということです。
ただ、何が問題かというと、アメリカにはその「伝統」と呼べるものがないのではないか、という点が最大の課題だと考えられます。
小名木:ここで言う「伝統」とは、王政や貴族制度、あるいは部族社会といったものを指しますが、これらはアメリカにはありません。
「インディアンを見習おう」と言っても、そのインディアン社会ももう存在しないわけですから。
海沼:はい。確かに古き良きアメリカ的な部分はあると思いますが、日本と比較したときに、日本には何万年もかけて蓄積してきた文化や価値観、風土というものがあります。
それこそが、物事を統合し、より高い抽象度へと上げていく日本の特性だと思うのです。
一方で、アメリカをはじめとする西洋的な考え方は、相反するものが対立し、ぶつかり合って滅ぼし合うという側面がどうしてもあります。
そうなったときに、伝統に回帰できないアメリカは、「じゃあ、どう生きていこう」という宙吊りの状態になってしまっているのです。
この点について、イーロン・マスク氏が「その答えは日本にあるのではないか」と発言していました。
これこそ、この「むすび大学」の「むすび」というテーマに完全に直結してくると思います。
日本的な精神、それこそが「伝統性への回帰」という点における答えなのではないかと。
いま、まさにそこに立ち返っていくタイミングに来ているように感じます。
小名木:王政や貴族制度といったものよりも、もっとはるかに古い時代、そこまで回帰するのではないかということですね。
これは、いわゆる「DAO(分散型自律社会)」という言い方もしますが、そういったものに回帰するのではないか、という予測もあります。
わたしはどちらかというと、そちらの方向へ進むのではないかと考えています。
海沼:日本も元々はずっとそうした文化を守ってきましたが、戦後、あるいはもっと前の明治時代頃からアメリカナイズされ、少し西洋かぶれの方向に進んでしまいました。
もちろん、それによって発展した部分もたくさんあるとは思います。
しかし、元々の日本の伝統性というものを、みんなが分からなくなってしまっているのも、また真理だと思うのです。
そこで今回は、改めてその日本の伝統性、小名木先生がおっしゃる「縄文的なるもの」が、どういう精神で、どういう生き方なのか、そしてそれが日常に落とし込まれたときにどう表現されるのか、という点についていろいろとお聞きしたいと思っています。
(中篇につづく)