「忙しいから勉強できない」の罠~ゆにわタイムズ~

※この記事は、ゆにわ塾の過去の音声コンテンツ「ゆにわタイムズ」の内容を編集し、まとめたものです。



「忙しいから勉強できない」は本当か



みなさんこんにちは。



今日は、「ゆにわ塾」のある講座での出来事を通じて、「忙しさ」と「学び」の関係について考えてみたいと思います。



講座に参加していた、ある女性の話です。



その方は、ずっと人と自分を比較しては落ち込むことを繰り返していました。

親御さんの介護があり、家業を引き継ぐかどうかの決断もつかない状態。

でも、講座に参加したことをきっかけに、逃げていた問題と向き合うことを決めたそうです。



すると、どうなったか。



以前よりも忙しくなったのに、逆にインプットが増えたというのです。



時間があれば学べるわけではない



これは、とても大切なことを示しています。



わたしたちは「時間に余裕があれば、もっと勉強できるのに」と思いがちです。

でも、時間があるからといって、本当に学びが深まるとは限りません。



確かに知識は増えるかもしれない。

けれど、それが「知れた」という満足感で終わってしまうことも多いのです。



本当に大切なのは、その学びがその人の魂を目覚めさせるようなものになっているかどうか

そこは、知識の量とはまったく別の話です。



中国の思想家・王陽明も、このことについて語っています。



当時の常識では、「学問をするためには、まず生活の基盤が整っていなければならない」と言われていました。

しかし王陽明は、それに異を唱えたのです。



生活することと学問することは、分けて考えるものではない。

日々の生活の中で、パンを食べながらでも、学問は深まっていくのだ、と。



北極老人の教え



わたしたちの師匠である北極老人も、かつて弟子にこう言ったことがあります。



飲食の現場で働いていたスタッフが「毎日忙しくて、まったく勉強ができない」と訴えたとき、

北極老人は「何を言っているんだ」と一喝されました。




勉強と仕事を分けて考えているから、そうなる。

ほんの少しの隙間時間でも本をめくり、

現場で動いているときに「あそこで読んだことは、こういうことか」と繋がる瞬間がある。

学問とは、常に日常の中にあるものだ。




王陽明はこれを「事上錬磨(じじょうれんま)」と呼びました。

自分が行っていることの上で、自分自身を練成していく。

つまり、日常の行動そのものが修行の場なのです。



回転数が上がるということ



先ほどの女性の話に戻ります。



彼女は言いました。

「忙しくなったおかげで、隙間の時間を無駄にしたくないと思うようになった」と。



時間に余裕があったときは、なんとなく過ごしてしまっていた。

でも忙しくなってからは、回転数が上がった

悩む暇がなくなり、無駄なことで頭を使わなくなった。



よく北極老人がおっしゃるのですが、

たとえば、ターミネーターが襲ってきたとき、

「わたしはあの人と比べて仕事ができていない」なんて悩んでいる場合じゃないですよね。



目の前に敵が来ている。どうするか。戦うしかない。

そういう状況では、余計な悩みは消えてしまいます。



必死になっているときこそ、その人の魂や良さが最も引き立っているのかもしれません。



向き合い方を変えただけで流れが変わる



その女性の話を聞いた、別の参加者の方も変化を報告してくれました。



彼女は営業職で活躍していましたが、足を悪くして営業ができなくなり、

別の部署に異動することになりました。



「これはわたしがやるべき仕事じゃない」

「もっと自分に合う仕事があるはずだ」



そう思って転職活動をしたけれど、うまくいかない。

でも、先ほどの方の話を聞いて気づいたそうです。

「わたしも嫌なことから逃げていただけだ」と。



そこで、いまいただいている役割をまずは一生懸命に打ち返そうと、心構えを変えました。



すると、この1ヶ月で驚くような変化が起きたのです。




  • チームを任されるようになった

  • 新しいプロジェクトのリーダーを打診された

  • 仕事に対する充実感がまったく変わった



彼女が変えたのは、仕事に対する向き合い方だけ

目の前に来ていること、起こっている出来事の捉え方、解釈を変えた瞬間に、

流れがどんどん変わっていったのです。



苦手なことに飛び込むことで見えるもの


じつはわたし自身も、最近チャレンジしたことがあります。


大学受験塾ミスターステップアップで、現役の受験生230人ほどの前で話をさせてもらう機会がありました。

正直に言うと、人前で話すのは本当に苦手なんです。

出番の前にはお腹が痛くなるほど緊張していました。



普通にしていたら、絶対に「わたしには無理です」と断っていたと思います。



でも、受験生にとって、いろんな大人の話を聞けるのは今しかない。

何か一つでも伝えられることがあるなら、やったほうがいい。

そう思って、話すことを決めました。



いざ終わってみると、反省点ばかりです。

「もっとこれを話せばよかった」「この子にこの話をしてあげればよかった」

悔しい思いがたくさん出てきました。



予想外の質問が飛んできたときには、頭が真っ白になって、

まるで古いAIがロード中になっているみたいでした。



でも、チャレンジしたからこそ、次が見えてきたのです。



もし次に受験生に話す機会があったら、こう伝えよう。

そういう視点が、普段の日常にも入ってくるようになりました。



今までと同じように過ごしているのに、解像度が上がった。

一つの物事に対する解釈の深さが変わった。

時間の密度がどんどん濃くなっていく感覚があります。



恥を恥じることで、恥がなくなる



昨日、論語を読んでいて、こんな言葉に出会いました。



「恥を恥じることを知ることで恥がなくなり、

悔いることを知ることで悔いがなくなる」



失敗を恐れて何もしないよりも、

「失敗してしまったな」と振り返れる経験があれば、それはもう失敗ではなくなる。



同じようなことを何度やっても、毎回反省点は出てきます。

前回の改善点を直しても、また新しい課題が見つかる。

一生なくならないものなのかもしれません。



でも、そうやって徐々に変わっていくことが大切なのだと思います。



安定した場所にとどまることの危うさ



ある程度の年齢を重ねて、仕事もできるようになり、

それなりのポジションを任されるようになると、

「これぐらいでいいよね」と安住してしまいがちです。



でも、それが衰退の始まりなのかもしれません。



自分のやりたくないこと、しんどいこと、苦手なこと。

そこに飛び込まなくなったとき、熱が冷めていく。

志が失われていく。



だからこそ、何歳になっても新しい経験は必要なのです。



忙しさの中にこそ学びがある



「忙しいから勉強できない」



わたしたちはつい、そう思ってしまいます。

でも、本当にそうでしょうか。



忙しさの中で必死に動いているとき、

ふと読んだ一節が腑に落ちる瞬間がある。

目の前の出来事と、学んだことが繋がる瞬間がある。



学問は、日常の中にあるもの



時間がないから学べないのではなく、

いまこの瞬間をどう生きるかの中に、学びはすでにあるのかもしれません。



暇があると、人は余計なことを考えてしまいます。

人と比べて落ち込んだり、無駄な悩みを抱え込んだり。



でも、忙しく動いているときには、そんな暇はない。

目の前のことに全力で向き合うしかない。

そのとき、わたしたちの魂は最も輝いているのかもしれません。



向き合い方を変えるだけで、見える景色は変わります。

苦手なことに飛び込むだけで、次のステージが見えてきます。



「忙しいから」を言い訳にせず、

いまいただいている役割を一生懸命に打ち返していく。



そこにこそ、本当の学びがあるのだと思います。



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