「スピリチュアル消費」の台頭と、自己実現の行き着く先~ゆにわタイムズ~

※こちらの記事は、ゆにわ塾の動画コンテンツを編集し、記事化したものです。

動画はこちら↓



SNSやビジネスの世界で、いまちょっとした変化が起きているのを感じています。

かつては「いかに数字を伸ばすか」「いかに稼ぐか」が主流だった世界が、少しずつ違う方向へシフトし始めているのです。



たとえば、最前線でネットビジネスをバリバリやっていた人たちが、急に田舎に引っ越したり、農業を始めたりしている。

「お金や数字を伸ばすだけでは幸せにならない」ということに、多くの人が気づき始めているように思います。



最近、SNSで「スピリチュアル消費」というワードを目にしました。

発端は中国で、パワーストーンの水晶ブレスレットが爆発的に売れているというニュースです。



その背景にあるのは、物質的なもので自分を満たす生き方から、もっと精神的に満たされたいという欲求の変化。

心の不安を解消したい、悩みを解決したい、そういう精神面の拠り所を求めて、パワーストーンなどに手を伸ばしているというのです。



世界的に見ても、ビジネス界隈の人たちの間でマインドフルネスや瞑想が広がっています。

一昔前なら「うさんくさい」「宗教だ」と言われていたものが、「じつは大事なんじゃないか」と認識され始めている。

物質的な価値観から精神的な価値観へ、確かに時代は一歩変わったのだと感じます。



自分を満たした、その先にあるもの



しかし、ここには落とし穴があります。

精神的な価値観にシフトしたといっても、結局は「いかに自分が気持ちよく過ごすか」というところが主流になっているからです。



自分の心の安定や気持ちよさを求めて瞑想する、田舎で農業をやる。

それ自体は悪いことではありません。

でも、自分の気持ちを満たすだけの人生だと、熱量は湧いてこないのです。



わたしもかつて一人でビジネスをやってきて、経済的にも恵まれ、好きなことをやって精神的にも楽しい生活を送っていました。

でも、その先がなかった。

自分を満たして気持ちよくなって、それから?という漠然とした虚無感がずっと消えなかったのです。



成功している経営者さんで、朝一番に瞑想から始めるという方を知っています。

お金もあり、時間も自由に使える。

でも、その人には熱量がまったくない。

「よし、このために生きていくぞ」という感覚が一切感じられないのです。



フリーランスで成功した人たちが、水タバコを吸いながら集まっている写真をSNSで見ました。

全員、死んだ魚のような目をしていた。

これが、みんなが憧れる「勝ち得た自由」の先なのか、と思いました。



有限の世界から、無限の循環へ



いまの西洋的な価値観、特に日本が近代以降取り入れてきたものの多くは、個人主義に基づいています。

個人の幸せをいかに最大限高めていくか、という考え方です。



代表的なのがマズローの五段階欲求。

生理的欲求から始まって、安全の欲求、所属欲求と満たしていき、最終的に自己実現へ向かう。

でも、これは結局、自分の幸せを土台にした考え方です。



みんな生まれたときからこの価値観を植え付けられていて、気づかないままその中でより幸せを目指す。

でも、そこにはゴールがない。

だから、ある程度のところまで行った後に「何のために生きているんだろう?」となってしまう。



本来、わたしたちは直感的に知っているはずなのです。

たとえば野球のチームで、全員が「俺が活躍するのが一番だ」と思っていたら、絶対に勝てない。

個人で活躍する以上に、チームで優勝したときの喜びのほうが大きい。

学校の部活動でも、みんなで味わう喜びというものを体験してきたはずです。



ゆにわで大事にしていること、師匠の北極老人から教えていただいていることは、無限循環という考え方です。



誰かのために何かをするとき、見返りを求めていなければ、帰ってこなくても疲弊しない。

なぜなら、それ自体が喜びだから。

やること自体が喜びになり、さらにエネルギーが上がっていく。

だから無限の循環になるのです。



武士道に見る「奉仕」の精神



三島由紀夫は、日本の武士道を三つの要素で定義しました。

セルフリスペクト(自尊心)、サクリファイス(自己犠牲)、セルフレスポンシビリティ(自己責任)。

その中でも特に、真ん中のサクリファイスこそが武士道の本当の特徴であると述べています。



主君がいなければ、武士は成り立たない。

尽くす相手がいなければ、あのような生き様は送れなかった。

自分一人のための努力では、なかなか頑張れないものです。



でも、故郷で家族が待っている、この国のみんなを守るため、というときに、命をかけてでも何かを達成しようという力が湧いてくる。

それが日本人のもともとの魂に宿っているはずの種なのです。



「自己犠牲」という言葉を使うと、「誰かのために尽くしすぎて疲弊した」という人がいます。

でも、そういう人が疲弊する理由は、結局、見返りを求めているからです。

「こんなにやったのに帰ってこない」ということに疲弊する。

それは本当の意味での自己犠牲ではありません。



いまの世の中の恋愛もそうではないでしょうか。

「この人に尽くすことが本物の愛だ」と思いながら、相手から返ってこないと急に憎しみに変わる。

それは結局、シーソーゲームであり、ゼロサムゲーム。

有限のものを取り合っている世界なのです。



敷かれたレールに気づくこと



わたしたちは、自分で意思決定して人生を生きているように思っています。

でも、じつは誰かに敷かれたレールの上を歩いているだけかもしれない。



たとえば、生まれたときに美人だったら、周りの大人たちが放っておかない。

「芸能界に入ったほうがいい」「女優になれる」と言われ続けて、「じゃあわたしも目指そうかな」と夢が作られていく。

それは完全に、他人から敷かれたレールです。



受験生が「医者になりたい」「医学部に行きたい」と言っていても、純粋に自分で思っていることはほとんどない。

自分の中から湧き出たモチベーションではないから、頑張れないのです。



いまの教育では、小学生や中学生に「将来の夢は何ですか?」と聞きます。

でも、社会をろくに経験もしていないのに、夢など持ちようがない。

みんな「お花屋さん」「サッカー選手」で終わってしまう。

聞くこと自体が、ある意味で愚問なのです。



わたしたちが「これが私だ」と思っているものは、全部他人の目から作られています。

「あなたってこういうところあるよね」「こうしなさい」と言われ続けて、「私ってこういう人間なんだ」とセルフイメージができていく。

でも、それは全部幻想です。



その幻想が求める幸せをいくら追っても、本質的な幸せにはたどり着けない。

だから、どこかでそのレールから外れることが必要なのです。



流される人から、流れを作る人へ



わたしもゆにわに出会うまで、レールから抜け出す方法がわかりませんでした。

「こうしたら成功する」という道を綺麗にたどって、お金を稼いで影響力をつけて。

でも、登り詰めた先で「あれ、幸せじゃない」となった。



そんなときにゆにわのことを知って、まったく違うベクトルの話を聞いたのです。

個人の幸せというより、誰かのために生きる、コミュニティのみんなのために生きるということが、いかに豊かさの密度が違うか。

そういう生き方があるんだ、と境外からポーンと教えられた感覚でした。



自分を満たす生き方をやめて、自己実現の山を一回降りて、まったく違う山に登り始めた。

そのときに初めて、自分が流されて生きていたことにも気づいたのです。



本当の意味で自分で考えて、自分で流れを作っていく。

「わたしはこのために生きるんだ」という内発性をどう引き出していくか。

それが、いまの時代の大きな課題だと思います。



神社参拝というのは、そのきっかけになりうるものです。

敷かれたレールから外れて、自分が本来持っている「このために生まれてきた」というものに目覚める。

神様の神気を受け取ることで、霊的なエネルギーがガッと上がる。

そのエネルギーを使って心の成長を続けていくことで、周りの人にもよい影響を与えていけるのです。



一回でも本気で参拝したら、まったく変わります。

自分を満たすだけの生き方から、もっと大きなもののために生きる生き方へ。

その第一歩を、ぜひ一緒に踏み出してみませんか。

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