お金の起源は「贈与」にあった
わたしたちはいま、資本主義社会のなかで暮らしています。
1万円、千円、500円といったお金を日常的に使っていますが、そもそもお金はどこから生まれてきたのでしょうか。
お金の起源についてはさまざまな説があります。
「最初は物々交換から始まった」という説もあれば、「物々交換ではない」という説もあります。
しかし、そうした形態の話よりも、もっと根源的なところに目を向けてみたいと思います。
結論から言えば、お金は「贈与」から生まれたのです。
人に与えるということ。
それは昔、ごくごく当たり前のことでした。
贈与とは何か
「贈与」という言葉は、普段あまり使わないかもしれません。
贈与とは、純粋に誰かのために何かをしてあげたいという思いのことです。
皆さんにも、そういう瞬間はないでしょうか。
「この人の笑顔を見られてよかった」とか、「何かをあげたら喜んでくれて嬉しい」という感覚。
計算も理屈も抜きにして、純粋にその喜びを感じている瞬間が、日常のなかにきっとあるはずです。
そして、そうしたいという気持ちは、どんな人のなかにも備わっているものです。
それが贈与なのです。
この純粋な人間の思いから社会は成り立っていたし、お金というものも生まれてきました。
マルセル・モースの贈与論
贈与について詳しく論じた人物に、マルセル・モースがいます。
彼は『贈与論』という本のなかで、次のように述べています。
「人間と人間の関係性の根底には、必ず贈与がある」
人間関係をつくっていくものは贈与であり、どんな人のなかにも「誰かに与えたい」「誰かの役に立ちたい」という思いが備わっているというのです。
現代に残る贈与の名残
では、贈与はいまの社会でどのような形で残っているでしょうか。
たとえば、もうすぐその時期がやってきますが、年賀状がそうです。
お歳暮もそうですね。
なかには「お歳暮をもらうと返さなきゃいけないから、いらない」という人も最近は多いようです。
しかし、お歳暮の起源をたどれば、誰かに何かを送りたいという気持ちから始まっています。
年賀状も同じです。
大切な人に自分の思いを届けたい。
それを文字にしたため、思いを乗せて送る。
受け取った人は「元気にしてるな」と思い、「こっちも元気にしてるよ」とまた書いて送り返す。
そういう思いが根底にあって、形式が生まれてきたのです。
いまの社会ではどうしても形式化してしまうこともありますが、始まりはすべて贈与なのです。
贈与の3つの目的
マルセル・モースの本には、贈与の目的が3つ挙げられています。
- 大事なものを互いに交換して信頼関係を築く
- 争いのもとになる過剰な蓄財をさせない
- 自然や神霊への捧げ物をする
1つ目について、昔は関係性をつくる手段が限られていました。
言葉も違えば、部族ごとの儀式や文化も異なります。
そうしたなかで関係性を築くには、自分たちにとって価値のあるものを送り、誠意を示すしかなかったのです。
これはいまでも同じです。
たとえば、隣に誰かが引っ越してきたとき、その人は挨拶に来ますよね。
「隣に引っ越してきました。つまらないものですが」と洗剤などを渡す。
気持ちを込めて渡すことで、信頼関係を築いていく。
いきなり隣の人が家のなかに入ってきて「仲良くなりましょう」と言われたら、ちょっと怖いですよね。
それでは関係性は築けません。
まずは贈与から始まるのです。
2つ目は、蓄財する前に与えよということです。
いまの社会は蓄財に重きを置く傾向がありますが、もともとは違いました。
3つ目は、自分が持っているものを大いなる存在に捧げていくこと。
これも昔は当たり前のことでした。
ポトラッチという儀式
世界には贈与の名残を伝える儀式がいくつも残っています。
そのなかでも分かりやすいのが、インディアンの「ポトラッチ」という儀式です。
ポトラッチは「贈与合戦の儀式」と呼ばれています。
ある部族が別の部族を招待し、ひたすらもてなします。
「これを食べてください」「これも受け取ってください」と、どんどん与えていく。
もてなしてもらった側の部族は、今度は相手を招待します。
「この前はありがとうございました。今度はこちらがお返しします」と言って、同じように贈与をおこなう。
これをずっと繰り返すお祭りのようなものがあるのです。
なぜこのようなことをするのか。
それは、贈与は力だからです。
与えることができるというのは力の証です。
一国のリーダーや王様を担うことができる人物は、多くの人から信用・信頼されています。
つまり、昔は「どれだけ与えたか」が評価基準だったのです。
歴史的建造物と贈与の精神
世界にはピラミッド、ケルン大聖堂、サグラダ・ファミリア、日本の古墳など、さまざまな歴史的建造物があります。
これらはなぜ作られたのでしょうか。
「建てたら儲かるから」ではありません。
ピラミッドについては、かつて「奴隷に建てさせた」という説がよく語られていました。
しかし、のちに「奴隷にこれほどのものは建てられないのではないか」という意見が出てきました。
本当にいやいや働かされていたのなら、こんな壮大なものは完成しなかったはずだというのです。
サグラダ・ファミリアやケルン大聖堂は、何百年もかけて建てられています。
いまだに完成していないものもあります。
損得で考えていたら、こんなことはできません。
建造物を建てるために労働し、貢献するということ自体が贈与なのです。
働いている人は、大いなるもの、神様に捧げるつもりで建築に携わっていた。
だからこそ、何百年も人が変わっても、同じ意志が引き継がれていったのです。
贈与社会からお金が生まれた理由
このように、いわゆる「贈与社会」というものがずっと続いてきました。
これが人類の歴史を理解するうえで、大事なポイントです。
もしお金が単なる交換の道具にすぎなかったとしたら、おそらく残っていなかったでしょう。
無機質な機能だけであれば、消えていた可能性もあります。
ではなぜ、お金のシステムは脈々と残ってきたのか。
それは、お金の根底に贈与の精神があったからです。
誰かに与えたい、誰かの役に立ちたいという人間の純粋な思い。
その思いがお金を生み出し、いまも支え続けているのです。
わたしたちが当たり前のように使っているお金には、こうした深い歴史と人間の本質が宿っています。
そのことを知ると、お金との向き合い方も少し変わってくるかもしれません。
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