ゆにわ塾講師の西野ゆきひろです。
僕はいま、すごい時代の転換点に立ち会っていると感じています。
これは、なかなかないタイミングです。
少し昔は、いわゆる「ハイスペック」がもてはやされる時代でした。
例えば男性なら、お金があって、地位があって、有名で、見た目が良くて、才能がある……といった「スペック」が重視されていたのです。
でも、今の時代はどうでしょう。
YouTubeが登場し、かつてテレビの中で手が届かない存在だったスーパースターたちが、とても身近な存在になりました。
ジャニーズのアイドルが自身のチャンネルで、テレビでは見せない日常の姿を見せるようにもなりました。
それらを見ていると、ふと思うことがあります。
「あれ、このスーパースター、普段はあんまり面白くないな」
「こっちの無名のお兄ちゃん(お姉ちゃん)の喋りのほうが、めちゃくちゃ面白いぞ」
こんな経験は、皆さんにもあるのではないでしょうか。
まさに今、時代は「中身」が勝負になっています。
スペックよりも、その人の人間力や中身、もっと言えば、「何かに燃えているか」「魂を震わせて生きているか」どうか。
僕たちは、そういう部分にこそ惹かれ、「この人の話を聞きたい」と思うようになっているのです。
これからの時代の「強運」とは?
そんな時代だからこそ、「強運」の定義も変わってきます。
これからの強運とは、何かが手に入るとか、成功するとか、思った通りにうまくいくといった類のものではありません。
むしろ、うまくいかない時、失敗した時、逆境や試練にあった時に、それを乗り越えるための「力」や、周りからの「助け(他力)」を授かること。
これこそが、これからの時代の本当の「強運」です。
どんな人生であれ、必ずうまくいかないことや試練はやってきます。
その時に運のエネルギーが溜まっていなければ、迷ったり、落ち込んだりして、道半ばで折れてしまうかもしれません。
だからこそ、自分自身が再び立ち上がれるような「魂が震える言葉」を見つけておくことが大切になります。
「救われる側」から「救う側」へ

2024年、僕は「菩薩(ぼさつ)になりましょう」という話をしてきました。これは、「救われる側」から「救う側」へ回ろう、という呼びかけです。
何かをお願いする時も、「ああ、助けてください」と願うのではなく、「自分にできることがあったら、何でもやらせてください」という気持ちを持つ。
誰かを好きになった時や、何かに強く惹かれた時を思い出してみてください。
そこには損得勘定はなく、「何かしてあげたい」「尽くしたい」「助けになりたい」という純粋な思いがありませんでしたか?
その感覚を、特定の誰かだけに向けるのではなく、たまたま一緒に居合わせた人にも向けてみる。
助けになる言葉をかけたり、優しく振る舞ったりする。「救う側」に立つのです。
菩薩の価値観は「真逆」
この「菩薩」の価値観は、これまでの普通の価値観とは「真逆」だと言えます。
例えば、自分が苦しい時、うまくいかない時。
普通なら「嫌だな」と思う場面で、「ありがたい」と喜べるかどうか。
息が詰まるような苦しい人生を送ってきた人は、ある意味で恵まれています。
なぜなら、「修行」が早く終わるからです。
苦しい時に「嫌だ」と思うのではなく、「これは修行の糧になります、ありがとうございます」と喜べる感覚。
そして、周りの人や仲間が苦しんでいる時に、「我がことのように苦しい」と感じられる感覚。
これが菩薩の感覚であり、今までの普通の価値観とは真逆なのです。
だからこそ「菩薩道」とは、世の中の流れに身を任せるのではなく、「逆行」することだと言えます。
普通だったら逃げたくなること、やりたくないことから、あえて踏み込んでいく。
自分のためだけなら頑張れないことでも、「誰かのために」「仲間のために」と一歩を踏み出していく。
「こんなに世の中は汚れているのか」と嘆くのではなく、「じゃあ、今の自分に何ができるか?」と、流れに逆らって行動を起こしていく。
「幸せのテンプレート」はもう通用しない

旧時代は、ある種の「テンプレート」通りに生きていれば良い、という側面がありました。
ビジネスの世界でも、「この構文で話せば売れる」といったマーケティングやセールスの手法が溢れていました。
しかし、僕たちはもう気づき始めています。「あ、これセールストークだな」と簡単に見破ってしまうのです。
そして、もっとその奥にある「中身」を見るようになっています。
「幸せ」にもテンプレートがありました。
良い仕事につき、お金持ちになり、子宝に恵まれ、マイホームを建てて、休日には旅行に行く……。
でも、それらすべてを手に入れたにも関わらず、パートナーと離婚したり、孤独になったりして、ボロボロになっていく人たちもたくさんいます。
その時、僕たちは気づくのです。
「あ、あれは本当の幸せじゃなかったんだ」と。
コロナ禍も大きな転換点となり、多くの人が「本物とは何か?」「本当の幸せとは何か?」を問い直し始めました。
「狭き門」の先にある景色
では、本当の幸せとは何でしょうか。
それは、「どれだけ魂が震える日々を送れているか」に尽きると、僕は思います。
本当の幸せは、そこでしか味わえないのです。
そのためには、「狭き門」を選ぶ必要があります。
『マタイによる福音書』には、「破滅に至る道は大きくて広い」「命に至る道は狭くて細い」という言葉があります。
流れに身を任せる「広き門」ではありません。
普通なら逃げたくなる道、今までは避けたほうがいいと言われていた「狭き門」。
実はそちらにこそ、命につながる道、本当の幸せへのルートがあるのです。
人間は、何もしなければ動物的になり、堕落していきます。
安心、安全、快適、便利、自由、快楽……これらは、人間を腐らせていく要素にもなり得ます。
『大学』という書物にも「小人閑居して不善を為す(しょうじんかんきょしてふぜんをなす)」とあるように、人は暇な時間ができると、ろくなことをしません。
でも、本当に魂が震える道は、そこにはありません。
あえて難しい道(千難万苦)を選び、それを楽しめるかどうか。
嫌だなと思うことを「修行だ」と喜んで立ち向かっていけるかどうか。
そうやって生きるからこそ、魂は震えるのです。
そして、そう生きるからこそ、普通に生きていては絶対に見ることができない景色が見え、体験ができるのだと、僕は信じています。
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