このシリーズでは、神様に応援される会社経営について、
相原康人がさまざまな業種の経営者や従事者の方にインタビューさせていただきます。
今回は、松下幸之助に学ぶ「孤独が人を強くする」をお伝えします。

インタビュアー 相原康人
北極流占い師。北極老人から口伝で占いの秘伝を学び、一人ひとりの開運の秘訣を伝授する。

池田俊介
旧松下電器本社がある大阪府門真市近くで育つ。松下幸之助の経営哲学を研究している。
生涯、挑戦し続けた生き方の原点
相原 ではまず、松下幸之助さんがどのような方だったのかを、池田さんからお話しいただけますでしょうか。
池田 「松下幸之助」という名前は、ご存知の方が多いと思うのですが、やっぱり一番有名なのは、一代で世界的な家電メーカーを作った、ということでしょう。
当初は三人から始めた会社が、少しずついろんな事業を増やしていって、大きな姿になっていきました。
松下幸之助は、人生を通じて日本を豊かな国にしたい、物も心も共に豊かな社会を実現したい、という理想を追求していました。
実は彼は、松下電器とは別に、人々の心を啓蒙するための「PHP研究所」や、70億円の私財を投じた「松下政経塾」というリーダーを育成する機関を設立しています。
良い国や、良い社会を作ろうと思ったときに、やはり強いリーダーが必要だと考えたんですね。描いた夢が大きくて、94歳で志半ばでこの世を去りましたが、生涯、心の若さを保ちながら、未知なることに挑戦し続けた方でした。
相原 では、松下幸之助さんはどのように商売と出会って、会社を作り上げていったのでしょうか。
池田 松下幸之助は、幼い頃から会社を起こすまでの間、ものすごい苦労を重ねているんです。
不運な目にあって、それを克服する、ということを繰り返していました。
ですが、後に振り返ると、この幼い頃にあった辛い体験が、彼の人生を形作る上でとても大事だったのだと思います。
孤独なときに決めた覚悟が、
その後の人生を方向づけた
池田 松下幸之助の家庭は、もともと非常に裕福だったんですが、小学校卒業の直前で、学校を退学して丁稚奉公に出ざるを得なくなりました。それは、お父さんが米相場に手を出して、一文無しになってしまったのが理由です。
そして、9歳から15歳まで丁稚奉公をするのですが、そのときに非常に辛い思いをしました。
向かいにお金持ちの家があって、同い年の子どもが毎朝「行ってきます!」って、元気よく学校に行くわけですよ。制服もカバンもピカピカに輝いている。
でも自分は、ボロボロの服を着て、かじかんだ手で真冬に雑巾を絞っているわけです。それを見て「なんだこの違いは…。自分も勉強したい…!」と涙が止まらなかったと言います。
でも松下幸之助は、幼いながら、自分の与えられた道を一生懸命生きることが大事なんだ、と覚悟を決めたんです。
相原 「みんな学校に行けるのに、自分は行けない」というのは、本当に辛かったでしょうね。でもそこで「自分はこの道なんだ」と決める胆力というか、根性は並大抵のものではないですよね。
池田 さらに11歳の頃、お父さんが亡くなるんです。松下幸之助は、8人兄弟の末っ子なんですが、その当時、お母さんとお姉さんを除いた兄弟全員を失っているんですよ。そんな辛い経験を幼少期にしているわけです。
そして27歳のときには、自分以外の全ての家族を失っています。
相原 その孤独は相当なものだったでしょうね。
ですが、その孤独を乗り越えて大成されているのを見ると、孤独だったからこそ、自分の使命は何だろうかと、問い続けられたのかなと思います。
神様に祈るように、仕事をされていたのでしょう。
助けてくれる人のありがたみも人一倍強く感じていたでしょうし、より周囲からの愛を受け取ることができたのかもしれませんね。
次回も引き続き、松下幸之助さんの人生を振り返りながら、「神様に愛される経営道」について語っていきます。
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フルバージョンは「ゆにわ塾」でご視聴いただけます。
神様に愛される会社経営を学べる
「かむながら経営道」

神様と繋がった会社経営とはいかなるものかを、
様々な業種の信仰心をお持ちの経営者の方にインタビューさせていただき、
神様に応援される会社とは何かを探究する、ゆにわ塾の人気コーナー。